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2005.2.14.  科学的な根拠や、データ的な実証があるわけではないのに、子どもが産まれてから、私は自然にテレビのスイッチを切っていた。それは長年テレビに働いていたせいかもしれない。テレビの仕事の時、常に心がけていたのは「旬の情報を出来るだけわかりやすく」だった。

もちろんこれが間違っているとは今も思っていない。しかし裏を反せば「労いらずで欲しい情報が入ってくる怖さ」でもある。それを身をもって知っていたので、子どもに「労」を惜しむことはしないで欲しいと思ったのかもしれない。まず五感を研ぎ澄ませたいと思った。赤ちゃんという存在があまりにも無垢だったせいもあると思う。ちょっとした物音にも驚いて泣き出し、眠っていても私が離れる気配を感じて目を覚ます。その鋭敏さに眠れない日々が続き体重が5キロも痩せたが、同時に「この本能を失いたくない」と思った。

子どもが1歳半になるまではテレビは本当に数時間しか見なかった。もちろんDVDやビデオは一緒に見たし、クラシックやロックのCDも聴いた。でもそれらのテレビとの大きな違いは「かけようと思わなければ聴こえない」ということだった。能動的な行動と受動的なテレビとの違いは大きいと思う。

これが功を奏したかどうかははなはだ疑問で、ただの親の自己満足に過ぎないかもしれない。でも言葉を話すようになってから、冬の締め切った家の中にいても「お外で鳥が鳴いてるね」とか「今日はすごい風だね」などと言って私を驚かせた。ちょっと嬉しい瞬間だった。

ところが同時に不安もあった。テレビを全く見せない息子に比べて他の子どものほうが言葉が進んでいるような気がしたのだ。そこで少しずつ時間を決めてテレビを見せるようにした。すると息子は急激に語彙を増やしていった。テレビの怖さと同時にテレビの効力を思い知った。

もちろん我が家のケースだけで全てを語るわけにはいかないが、確実に彼はおしゃべりになっていった。それからは面白くて二人で年がら年中おしゃべりをしている。さながら実況中継。目に見えるもの肌に触れるもの全てがおしゃべりの対象になった。

それまでも私が一人おしゃべりをしていたが、話が通じるようになると格段におしゃべりも楽しくなる。少しだけ心がけているのは「わかりやすく話すが子ども扱いしない」事。こどもにもわかるように話すけれど、子どもだからこんなことはわからないだろうと、手を抜いて話さないようにしている。当然、長話になる。結果、のべつ幕無しおしゃべりが続く。まあ、親子して良くしゃべること。

しかし、先日幼稚園での面接でのこと。園長先生の質問に対し息子は全く見当違いのことを、滔々と5分ほどしゃべりまくった。あっけに取られた園長先生は「お家でもこんなにお話しになるんですか」と驚き、さらに、「おしゃべりを我慢することもエネルギーがいるのよ」と笑顔でぴしゃり。息子の幼稚園生活が楽しみになった。

minako nagai

※この文章は「別冊PHP2月号」掲載記事より転載いたしました。